ドキュメンタリー映画「真夏の夜のジャズ」JAZZ ON A SUMMER’S DAY(CBS/SONY LD)
1959年 アメリカ映画 カラー スタンダード
制作・監督 バート・スターン 2013年7月死去 83歳
撮影 バート・スターン、コートニー・ヘイフェラ、レイ・フィーラン
音楽監督 ジョージ・アヴァキャン(レコード・プロデューサー)
編集 アラム・A・アヴァキャン
Jazzの歴史はアメリカの近代史
撮影・監督のバート・スターンは有名なスチールカメラマンである。そのバート・スターンがムービーに挑戦した、楽しいJazzの記録映画である。この「真夏の夜のジャズ」は、 演奏するミュージシャンの表情や音楽から伝ってくる彼らの人がらと、それを聞く観客のくつろいだ振る舞いや表情など、両者の醸し出すその場の空気感がよく伝わってくる。当時、私たちが思い描いたアメリカである。この映画が作られた頃、重要なアメリカ文化のひとつであるJazzは、そこまで迫って来ているRockの波をかわすことは到底不可能であり、手を握らざるを得ないのは明確であった。しかし頑なにJazzの城を守っていたミュージシャンもいたのである。60年前後はJazzにとって、このような意味からも重要な時代であった。Jazzは奴隷たちのアフリカンリズムとヨーロッパの白人音楽とのドッキングにより高度で複雑な音楽へと上りつめた。 この歴史の合間に、1861年南北戦争、1917年第一次世界大戦と大きな事変がありJazzへ大きな影響を与えたのである。Jazzの歴史はアメリカの近代史を語るものでもある。 このニューポート・ジャズ・フェスティバルは1954年から始まり、このフィルムは1958年7月(5回目)の記録である。ロードアイランド州ニューポートは古い町である。 この州は1776年に独立した13州の一つで、それを遡ること1639年に建設されたニューポートの町には富豪たちの大邸宅が並び、保養地としても有名で別荘も多く、マリンレジャーが盛んなところだ。地図でみると、北にボストン 、南西に下るとニューヨークという位置にある州だ。アメリカ50州の中で最も小さく、ニューポートは人口3万ほどの小さな町である。伊豆の下田と姉妹都市でもある。この記録映画を見たのは、1960年、54年前だった。有楽町日劇前の東宝シネマで、無理してロードショウで見たのである。立ち見だった。
聖者の行進
さて映画であるが、オープニングが素晴らしい。通常の映画のように独立したタイトルミュージックがない。映像もそうである。カメラは港の杭が並んだ船着場からパンダウンして水面のポップアートのようにくねる波紋の映像、そこにカラフルな船腹の映りこみ。そのバックにジミー・ジェフリー・スリーの演奏がながれており、タイトルスーパーとなる。オープンカーでディキシーバンドが「聖者の行進」を演奏しながら町に入ってくる。いよいよフェスティバルが始まる。クールでアップテンポ、全身でリズムをとるジミー・ジェフリー・スリーの「トレイン・アンド・ザ・リバー」はよくスイングし、映像とマッチした抜群の演奏だ。 ジミー・ジェフリーts、ボブ・ブルックマイヤーtb、ジム・ホールgというあまり例のない編成で、ボブのバルブトロンボーンは有名である。寄りサイズの長いフィックスのショットで、当然プレーヤーがフレームアウトすることもあるがそれが自然であり、下手に追うよりはずっといい。 サングラスの恋人たちや子連れの若い夫婦、ビールを片手にリズムに合わせて体をゆする女。そしてなぜか深刻な顔をした女性など。そしてタバコを吸う男女のくつろいだしぐさが会場の雰囲気を作り出している。吸わない人たちも平気である。しかめっ面する人などいなかった時代である。なんとも簡素な味も素っ気もないイントレ一段くらいの舞台で、それに庇のつき出た屋根が載った簡単なもの。見かけより中身というわけだ。夜になると照明は当てたままで、スポットライトもない。逆にそれだから観客がくつろげるのだ。舞台の演出などないに等しい。この場に集まった人たちにはこれで十分なのである。好きなミュージシャンの演奏が聞ければよいのだ。
ニューポートの幸せな瞬間
会場を囲んだ幕の外にいる町の人達も音楽がながれてくるから聞いているだけで、ついでにビールをのんでいい気分になり、ほどほどに酔って尻を振りながら浜を歩き、一方では屋根の上で踊りだす始末。 つまり、フェスティバルの間、この町の支配者はJazzなのだ。アメリカ・ニューポートの幸せな瞬間を見事に見せてくれる。時間が止まったようだ。 さらに、映画では余計なナレーションなどなく、せいぜい司会の声とミュージシャンの喋り、ラジオのアナウンスていど。夏のある日の、ここから、ここまで、を切り取った映像で、申し分ない作り方である。ジミー・ジェフリー・スリーのあとの、セロニアス・モンクは例のごとく、むっつりしてなにを考えているのかまるで分からない。MCによると彼の頭の中には音楽しかないそうだ。視野は30度くらいしかないのだろう。まったく愛想のない男である。このシーンは観客を見ていると面白い。無反応の人から過剰な反応の人まで、モンクの音楽ならいかにも、というところだ。「ブルー・モンク」一曲だけだがこれは強烈な印象を与える。やはりこの曲のインパクトは強い。 チコ・ハミルトン・クインテットおなじみの「ブルー・サンズ」のリハーサルシーンに、若き日のエリック・ドルフィーがフルートを吹いているショットがあった。 会場のそばの家の庭に沢山の洗濯物が干してある、そのショットをブリッジにして、ソニー・スティット・クインテットに渡す、というのは笑える。曲は「ブルース」である。 その演奏をバックにして、空撮のヨットレースがインターミッション風に入ってくる。ヘリの移動で太陽の位置がどんどん変わり、海面の反射がゴージャスな雰囲気である。空撮のヨットと主観移動の走る波は音楽とよくマッチしていた。 シンガーは、女性ではアニタ・オディとダイナ・ワシントン、他2人。男はジャック・ティーガーデンtbとサッチモ(ルイ・アームストロング)tpの漫才コンビの歌である。
Sweet littel sixteen
アニタの「二人でお茶を」は抜群で彼女でなければこうはいかない。まったく自分の音楽にしている。さすがベテランである。 マイク(U47)と太い針金のマイクガードの間にスポンジをはさみ、黒いビニールテープをぐるぐる巻いた養生からは現場の雰囲気が伝わってくる。彼女の大きな黒い帽子に白い羽飾りが決まっている。そしてくだけた歌いぶりが見事だ。バックバンドのピアノやドラムとの応答など、こんな彼女の歌はレコードでは絶対きけない。これなら観客が反応するはずである。彼女の歌だけを聴きにきた人もいるはずだ。盲目のピアニスト、ジョージ・シアリング・クインテットは良かった。「ロンド」は50年代のレコード、キャピトルのラテン・レースというレコードで聞いたことがある。ラテンリズムはお得意のものである。シアリングはJazzのスタンダード「バードランドの子守唄」の作曲者でもある。ひょっとすると、この映画の中で一番うけたのは、R&Bのチャック・ベリーかもしれない。曲はおなじみの「スウィート・リトル・シクスティーン」。まさかJazzフェスティバルに、と思うのだが、プロデューサーもこのあたりは堅苦しく考えていないのだろう。若者たちには大うけである。観客のショットは実に愉しい。デブのオジンが酔っ払って尻振りダンスを披露する。ドラムのジョー・ジョーンズが付き合っているのには驚いた。Jazzでは大者ドラマーなのである。 当時、人気の高かったジェリー・マリガン・カルテットはスマートな舞台だ。「アズ・キャッチ・キャン」の明るい音楽が素晴らしい。 知的なアート・ファーマーのトランペット、マリガンのバリトンサックス、そしてベースがビル・クロウ。 ビルは「さよならバードランド」という面白い本を書いた人だ。チコ・ハミルトン・クインテトのチェリスト、ネイサン・ガーシュマンが暗い部屋で裸でチェロを弾いている。 半逆光の寄りのショット、タバコの煙がただよっている。曲はバッハの無伴奏チェロ組曲第1番である。この曲をバックにして遊園地の回転木馬の子供たちのショットが入るという不思議な組み合わせだ。
オープンカーは次の町へ
夕方の浜辺では、メンバーが思い思いに岩の上でディキシーの「メリーランド、マイ・メリーランド」を演奏している。逆光のヨット、そして夕陽のアップ。ハッピーなシーンである。 バート・スターンがJazzという音楽をどれほど理解しているかよく分かる。これを超えるJazzの記録映画はない。 登場人物に不満はあろうが、脇役の観客を見事にとらえている。このフェスティバルのライブ録音レコードが出ている。 一度ゆっくり聞いてみたいものだ。編成の異なるバンドが出演するライブにおいては、遊んでいるマイクが目に付きやすい。また重いマイクがだんだん首を下げてくるが、その音を後処理で揃えるのはやっかいなことだ。 最後は、冒頭にも出てきたオープンカーのディキシーバンドが演奏しながら、次の町へ行く、という設定である。楽しい映画である。「映画テレビ技術2015年2月号掲載」(MO)