「あるじの独り言」〜斑尾高原のジャズ・フェスティバル(2003年夏)
斑尾高原寺瀬(てらせ)Joshu
■斑尾ジャズ創設期
斑尾高原がホテルを中心にペンション・ビレッジを展開する新しい客の滞在型リゾートとして
開発され10年を迎えようとしている1980年頃、開発10周年のメモリアルイヴェントの準備が話し始められた。 イヴェ ントの一つに冬はスキー場のゲレンデとなる芝生のスロープを客席にした野外のジャズ・フェスティバルが提案された。
1954年に始まった、アメリカ、ロードアイランド州のリゾート地ニューポートでのジャズ・フェスティバル、 1958年、5回目のフェスティバルのドキュメンタリー映画、「真夏の夜のジャズ」。これを見た13人のペンションの酒好きおや
じ(当時は若者・・?)が夢を膨らませ動きはじめたのです。この中にジャズ好きな「あるじ」も居た訳です。これ は10周年を機に再度、斑尾高原をアピールし地域の活性化を図ることだったんで斑尾のペンション・オーナーはじめ関係機関、
関係諸団体等にご支援ご協力、 ご理解し頂いたのは、本当にうれしかったです。こうした事が無かったら現実に成っていなかったと思います。
■ここから斑尾が始まった
何から何まで、素人集団の手造りの中、理想はナンバーワ ン(恐れを知らない素人の強み)。No.1のリゾート「斑尾」、No.1のジャズ・フェス「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」、No.1の
ビール「バドワイザー」。 そして、No.1のアーチストを揃え、1982年7月27日午前10時。
スパイロジャイラの「モーニング・ダンス」。ジェイベッケンシュタインのソプラノサックスから音が出たとき、 Budweiser Newport
Jazz Festival in 斑尾 が日本のジャズの歴史に加わったのです。スポンサーにビール・メーカーを
選んだのは、 期間中、酒好きおやじがビールをタダで飲み放題を狙ったわけでは決してありません。
■斑尾の魅力
昼のジャズ・ピクニックと夜のジャム・セッショ ン、一日中ジャズだらけを5日間、斑尾高原をジャズ・ヴィレッジにしたのは、プロデュサージョージ・ウェインの
アイデアでした。期間中、斑尾高原にアーチストは滞在し、ステージ以外の時間は、 お客さんとテニスをしたりソフトボールをしたり、アーチスト
たちも斑尾リゾートをエンジョイしてるんです。それは、今までの日本のジャズフェスティバルには無いものばかりでした。そして、盛り上げてく
れたのがディジー・ガレスピー、カーメン・マクレエ、ジェリー・マリガン、マッコイ・タイナー、ロン・カーカー、 フレディ・ハバード トニー・ウィリアムス、スパイロジャイラ、佐藤允彦、日野元彦、井野信義、
ネイティヴ サンと いったメンバー。
標高1000メートルの大自然の中
太陽の下、芝生の上に寝っ転がってビールを片手に、 好きなアーチストのジャズを聴く、パフォーマンスを見る、そして踊る。こんな贅沢なジャズフェスティバルは斑尾だけの
ものです。ぜったいそうだよね・・・あるじは自信満々で言い切ります。
1回から10回はバドワイザー、11回から13回はニッポン エクスプレス。ここから3年休み、1998年再開。15回から17回まではシティーバンク・プライベートバンク、18回からはボーダフォンとスポンサーのお世話になり、来年2004年は斑尾ジャズフェス20周年を迎えます。2004年で二十歳(はたち)になる斑尾ジャズ君は、大人の仲間入りをどんなかたちでみせてくれるのか楽しみですよネェ〜。
そして、アメリカ生まれのニューポートジャズフェスティバルは生誕50周年を迎える訳ですネ。