スイング・ジャズ全盛〜ビッグ・バンド時代からビ・バップの誕生
ビッグ・バンド〜スイング
昨年(1983年)の斑尾でもフュージョン色の濃いポップなサウンドと、観客を恍惚とさせたハイノートを 聴かせてくれた現代的なビッグ・バンド、メイナード・ファーガソン・バンドも、もとをただせば、20年代のニューヨークに誕生した、
フレッチャー・ヘンダーソンやデューク・エリントンに始まる。そしてフレッチャー・ヘンダーソンや、デューク・エリントンが確立した ビッグ・バンドの手法は、やがてスイング・ジャズという形でひとつのスタイルを確立してゆくのである。
ところで「スイング」っていうのは、1930年代に人気を博したベニー・グッドマンなどの白人バンドのスタイルに対してつけられた名称である。しかし、今でこそジャズのひとつのジャンルとして教えられているスイングも当時は、白人の創り出した新しいアメリカの音楽としてとらえられていたのだ。というのは、
当時のジャズというネーミングがあまりにも黒人的であり、ニュー・ヨークという大都会で商業的成功をおさめるためには、古臭いイメージがあったからだ。
フレッチャー・ヘンダーソンに始まり、スイング・ジャズとしてベニー・グッドマンの手で大衆化されたビッグ・バンド・ジャズの歴史は、 そんなことからもアメリカ社会の歴史を象徴しているとも言えるんじゃないだろうか。
それはともかく1930年から40年にかけては、 ビッグ・バンド全盛の時代ではあったが、すぐれたソロ・プレイヤーを生み出したことも見逃せない。
中でもカウント・ベイシー楽団のレスター・ヤングのテナー・サックスは、それまでのジャズにはない個性的でプログレッシブな奏法を示し、その後のジャズ・シーンに大きな影響を及ぼしている。
また。同じカウント・ベイシー楽団で活躍した第一級のサックス奏者の、バディ・テイトは、 今回(1984年)のバドワイザー・ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾にテキサス・テナーズの一員として来日するが、
躍動感あるスウィンギーなテナー・サックスは、我々の期待に充分応えてくれるであろう。
1939年。スイング・ジャズ・バンドとしては遅出の新編成バンド、グレンミラー楽団が、たった数ヶ月のうちに全米一の人気バンドになったという事実。
これは、アメリカ南部の港街から起こった局地的な新音楽だったジャズが、世界的に認知されたアメリカのポピュラー・ミュージックとして不動の地位を得たということであると同時に、ジャズ自体がその自らの進化を(売れるか売れないか、
というような)コマーシャリズムにゆだねてしまうんじゃないか、という危機感を生み出した。 実際のところ、当時のビック・バンド・ジャズはダンス音楽として考えられており、実力のあるプレーヤーがソロ・パートで自分の力を出す機会とういのは限られていたのである。
ビ・バップ
ビ・バップ(又はバップ)革命ーこの全く新しいジャズのムーブメントはそんな背景をもって生まれてきたのである。
コンサート後のジャム・セッションにソロ・プレイヤーたちは、交流の場と自己主張する場を求め、それがやがて新しいジャズの実験の場となり注目を集めるようになった。
それが新しいジャズのスタイル、ビ・バップ誕生のきっかけだ。原曲のメロディよりもコード(和音)新興に 基づき展開されるアドリブ、多彩でめまぐるしく変化するフレーズ、そして複雑で微妙なリズム、(ハーモニーやリズムの制約を広げた)
ビ・バップは、メロディ、 リズム、ハーモニー、全てにわたって従来のジャズとは一線を画していた。 (第一回のバドワイザー・ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾。霧の中、幻想的なムードの中で演奏した、
ディジー・ガレスビーは、チャーリー・パーカーと並んで、ビ・バップ時代の代表的なミュージシャンである。(P1984)