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ABOUT JAZZ
児山紀芳

1900s-1910s

1920s-1930s

1940s-1950s

1960s

1970s

1980s

 

1920s-1930s The main stream flows from New Orleans to Chicago.

ルイ・アームストロングとシカゴ・ジャズ

どんなにジャズに疎い人でもルイ・アームストロングの名前は聞いたことはあるだろう。しかし、一方では彼の存在があまりにポピ ュラーであったため、当時の「通」と呼ばれる人々に敢えて無視さてれいたというのもまた確かな事実ではなかったろうか。 ジャズの舞台がニューオリンズからシカゴに移った1920年代初頭、それは丁度ルイ・アームストロングがシカゴでスターダムにのし上がり、 現在僕たちが概念として持っているジャズの形式を決定づけた頃と時を同じくしているのだ。芸術までに高められるソロ・プレイのコンセプト、 ひとつの楽器としてバンドの中で重要なパートを占めるボーカル、ツービートからフォービートを主体とする、スイング到来の示唆。 そのどれをとっても、現在のジャズに不可欠な要素を彼一人が築き上げたと言っても言いすぎではないだろう。

当時のシカゴジャズは、そうした形式だけでなくジャズが持つ固有のイメージと雰囲気と言ったものを方向づけた、という点でも注目したい。 つまり紫煙たちこめる地下の酒場で聴くにふさわしい音楽、 という映画のワンシーンによくあるシチュエーションだ。こんなイメージが出来上がったのも、 20年代のアメリカが禁酒法下にあり大衆の楽しみの中心がスピークイージ(もぐりの酒場)にありそこにはジャズが、なくてはならないものだったからじゃないだろうか。 そんなことからも、当時のシカゴ・ジャズが現代に及ぼしている影響が大であると言えよう。ルイ・アームストロングという大スターを 生み出したシカゴのジャズもやがて、 舞台をニュー・ヨークに移し新たな展開を見せて行く。 その中でもビッグ・バンド・ジャズの登場に注目 したい。

スイング・ジャズ全盛〜ビッグ・バンド時代からビ・バップの誕生

ビッグ・バンド〜スイング

昨年(1983年)の斑尾でもフュージョン色の濃いポップなサウンドと、観客を恍惚とさせたハイノートを 聴かせてくれた現代的なビッグ・バンド、メイナード・ファーガソン・バンドも、もとをただせば、20年代のニューヨークに誕生した、 フレッチャー・ヘンダーソンやデューク・エリントンに始まる。そしてフレッチャー・ヘンダーソンや、デューク・エリントンが確立した ビッグ・バンドの手法は、やがてスイング・ジャズという形でひとつのスタイルを確立してゆくのである。

ところで「スイング」っていうのは、1930年代に人気を博したベニー・グッドマンなどの白人バンドのスタイルに対してつけられた名称である。しかし、今でこそジャズのひとつのジャンルとして教えられているスイングも当時は、白人の創り出した新しいアメリカの音楽としてとらえられていたのだ。というのは、 当時のジャズというネーミングがあまりにも黒人的であり、ニュー・ヨークという大都会で商業的成功をおさめるためには、古臭いイメージがあったからだ。 フレッチャー・ヘンダーソンに始まり、スイング・ジャズとしてベニー・グッドマンの手で大衆化されたビッグ・バンド・ジャズの歴史は、 そんなことからもアメリカ社会の歴史を象徴しているとも言えるんじゃないだろうか。

それはともかく1930年から40年にかけては、 ビッグ・バンド全盛の時代ではあったが、すぐれたソロ・プレイヤーを生み出したことも見逃せない。 中でもカウント・ベイシー楽団のレスター・ヤングのテナー・サックスは、それまでのジャズにはない個性的でプログレッシブな奏法を示し、その後のジャズ・シーンに大きな影響を及ぼしている。 また。同じカウント・ベイシー楽団で活躍した第一級のサックス奏者の、バディ・テイトは、 今回(1984年)のバドワイザー・ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾にテキサス・テナーズの一員として来日するが、 躍動感あるスウィンギーなテナー・サックスは、我々の期待に充分応えてくれるであろう。

1939年。スイング・ジャズ・バンドとしては遅出の新編成バンド、グレンミラー楽団が、たった数ヶ月のうちに全米一の人気バンドになったという事実。 これは、アメリカ南部の港街から起こった局地的な新音楽だったジャズが、世界的に認知されたアメリカのポピュラー・ミュージックとして不動の地位を得たということであると同時に、ジャズ自体がその自らの進化を(売れるか売れないか、 というような)コマーシャリズムにゆだねてしまうんじゃないか、という危機感を生み出した。 実際のところ、当時のビック・バンド・ジャズはダンス音楽として考えられており、実力のあるプレーヤーがソロ・パートで自分の力を出す機会とういのは限られていたのである。

ビ・バップ

ビ・バップ(又はバップ)革命ーこの全く新しいジャズのムーブメントはそんな背景をもって生まれてきたのである。 コンサート後のジャム・セッションにソロ・プレイヤーたちは、交流の場と自己主張する場を求め、それがやがて新しいジャズの実験の場となり注目を集めるようになった。 それが新しいジャズのスタイル、ビ・バップ誕生のきっかけだ。原曲のメロディよりもコード(和音)新興に 基づき展開されるアドリブ、多彩でめまぐるしく変化するフレーズ、そして複雑で微妙なリズム、(ハーモニーやリズムの制約を広げた) ビ・バップは、メロディ、 リズム、ハーモニー、全てにわたって従来のジャズとは一線を画していた。 (第一回のバドワイザー・ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾。霧の中、幻想的なムードの中で演奏した、 ディジー・ガレスビーは、チャーリー・パーカーと並んで、ビ・バップ時代の代表的なミュージシャンである。(P1984)

1920

大正9年

チャーリー・パーカー生まれる

1921

大正10年

キッド・オリー(tb)黒人バンドによる初レコーディング

1922

大正11年

チャールス・ミンガス、カーメン・マクレエ生まれる

1923

大正12年

フレッチャー・ヘンダーソン楽団結成

1924

大正13年

ルイ・アームストロング、ニューヨークへ移りフレッチャー・ヘンダーソン楽団に参加

1925

大正14年

ルイ・アームストロング、シカゴへ戻る

オスカー・ピーターソン生まれる

B・Bキング生まれる

1926

大正15年

サッチモ、初のスキャット・ボーカル録音

マイルス・デイビス生まれる

1927

昭和2年

スタン・ゲッツ生まれる

エリントン楽団、コットン・クラブに出演

1928

昭和3年

ハンプトン生まれる

1929

昭和4年

デューク・エリントン楽団、ジャズ録音で初の25センチSP両面の吹込みを行う。

1930

昭和5年

淡谷のり子デビュー

1933

昭和8年

クインシー・ジョーンズ生まれる

稲垣次郎、マーサ三宅、増田一郎、藤家虹二、渡辺貞夫生まれる

1934

昭和9年

ベニー・グッドマン独立

東京宝塚劇場オープン

1935

昭和10年

カウント・ベイシー楽団スタート

チャーリー・パーカー、プロ入り。中犬ハチ公死ぬ

1936

昭和11年

インペリアル劇場で初のスイング・コンサートを開催(5月)

ベニー・グッドマン・コンボにテディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトンが参加

阿部定事件(5月)。ベルリンオリンピック「前畑ガンバレ」

レスター・ヤング(ts)ベイシー楽団に加わってレコーディング

1937

昭和12年

ディジー・ガレスピー(tp)、テディ・ヒル楽団に加わり初レコーディング(5月)

チャーリー・パーカー(as)ジェイ・マクシャン楽団に加わる

ロン・カーター生まれる

1938

昭和13年

マッコイ・タイナー、フレディー・ハバート、生まれる

ベニー・グッドマン(cl)、カーネギー・ホールで初のジャズ・コンサート開催(1月

1939

昭和14年

グレン・ミラー楽団、人気沸騰

ビリー・ホリデー(vo)、「奇妙な果実」録音(4月)

第二次世界大戦始まる(欧州)

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