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ABOUT JAZZ

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1960s
1970s
1980s
 

1970s The rock music makes the way and the new wave of fusion.

フュージョン誕生

ところでジャズと共にポピュラー・ミュージックの双璧をなすロック・ミュージックはエレクトリック楽器の急速な発展と共に、1950年代後半からジャズとの人気を二分するまでに至っている。 その過激でエネルギッシュなリズムを持つロックは1970年以降のジャズ・シーンに大きく影響を及ぼした。その発端となったのは 1960年代のジャズ・シーンに大きな役割を果たしたマイルス・デイビスである。彼はエレクトリック・サウンドを駆使したリズミカルなジャズで、 またもやジャズの新時代を開いたのであった。

このマイルスのグループで中心的存在であったジョー・ザビィヌルはやがて ウエザー・リポートの実質的なリーダーとして、 1980年代を音楽シーンを予期するようなパフォーマンスをぼくたちに提示してくれた。 それは、もはやジャズだのロックだのと言うジャンルのこだわりを超えた最も現代的なポピュラー・ミュージックのスタイルであるフュージョンの誕生である。 斑尾ではお馴染みのスパイロ・ジャイロやスタッフなどは、そうしたフュージョンの中心的なアーティスト達だ。 さて、創成期のニューオリンズ・ジャズがそうであったように、ジャズは枠にはまらない「自由な音楽」だ。そして、 ひとつの形にパターン化されそうになると巧みに身をかわし、 常に新しい可能性を持つ「進化する音楽」だ。だから既成のジャンルを超えたフフュージョンもやがてはジャズという とてつもなく大きな「音楽」という枠の中にきっちりとおさまってしまうだろう。(P1984)

1970
昭和45年
ルイ・アームストロング生誕70周年記念で、ニューポート・ジャズ祭「サッチモの夕べ」開催(5月)
ウエイン・ショーター、ジョー・ザビヌル、ウェザー・リポート結成(12月)
渡辺貞夫4、モントルー、ニューポート両ジャズ祭出演(7月)
日本ジャズメンの海外進出始まる。
1971
昭和46年
秋吉敏子、カーネギー・ホールでリサイタル
ルイ・アームストロング、ニューヨークで死去(7月6日)
日野皓正5、ベルリン・ジャズ祭に出演(11月)
1972
昭和47年
ニューポート・ジャズ祭、この年からニューヨークで開催(7月)
マヘリア・ジャクソン、リー・モーガン、ジミー・ラッシングら死去
日野皓正5、ニューポート・ジャズ祭出演(7月)
1973
昭和48年
パブロ・レコード、コンコード・レコード発足
ベン・ウエブスター、ジーン・クルーパなど死去
渡辺貞夫4、スイスのモントルー・ジャズ祭(6月)、秋吉敏子、モンタレー・ジャズ祭(9月)に出演
1974
昭和49年
秋吉敏子〜ルー・タバキン、ビッグ・バンド、LAで旗揚げ(2月)
デューク・エリントン、NYで死去、75歳(5月24日)
1975
昭和50年
世界ジャズ協会(WJA)発足、第一回会合がL.Aで「デューク・エリントン・デー」制定(4月29日)
アート・ペッパー(as)、15年ぶりの再起第一作をコンテンポラリーに録音(8月)
ニューポート・ジャズ祭に日本人ジャズ・メン大挙出演(6月)
1976
昭和51年
ニューポート・ジャズ祭、アメリカ建国200年記念を兼ねての豪華プログラム(6月)
「ブリージン/ジョージ・ベンソン」、発売20周年目で100万枚を記録
1977
昭和52年
中村照夫のライジング・サン、N.Y.のジャズ・チャートにランク・イン(1月)
スタン・ケントン、ポール・デスモント死去(5月)
アート・ペッパー、カルテットでN.Y「ビレッジ・バンガード」に出演(7月)
VSOPクインテッドの活躍でメイン・ストリーム・ジャズの再評価が高まる(7月)
1978
昭和53年
米ダウン・ビート誌国際批評家の投票で「インサイツ/秋吉敏子」最優秀アルバム(6月)
レニー・トリスターノ(p)、NYで死去(11月)
1979
昭和54年
チャールス・ミンガス(b)、メキシコで死去(1月5日)
中村照夫、日本人として初めてカーネギー・ホールに出演(6月15日)
第26回ニューポート・ジャズ祭に山下洋輔トリオ出演(6月)
第13回モントルー・ジャズ祭で”ジャパン・ディ”。三木敏悟&IGO、中本マリ、山本剛ら出演(7月)
スタン・ケントン、ハリウッドで死去(8月25日)

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