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1960s
The mode methode leasds 1960 jazz music and jazz revolution
モード手法とジャズ革命

モード手法〜マイルス・デイビス

1959年11月、ニューヨークのジャズ・クラブ”ファイブ・スポット” で、かつてないほどの激しい賛否両論の評価を受けたパフォーマンスがあった。オーネット・コールマンのステージである。 オーネットのプレイは従来のように和音やフレーズに頼らない、まったく自由なインプロビゼーション(即興演奏)主体のよく言えば 大胆な、悪く言えば全く調子はずれの演奏だったのだ。こうした従来のジャズが創造してきた、 既成のコンセプトを根本から覆すフリー・ジャズの登場は、コード分解によるアドリブ・プレイの行き詰まりから脱却を試み モード(音階)に基ずくアドリブに解決をみいだしたマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンのいわゆる「モード手法」に端を発している。

ともかくも1960年を境にして180度ひっくりかえってしまった。いや、ハーモニーやメロディから開放された、とうい時点で既成の枠組みにとらわれない自由な音楽、ジャズの原点に戻ったとも言えるんじゃなないだろうか。しかし、そうしたフリー・ジャズの誕生は、 それまでつちかってきた50年余りのジャズの伝統を全く無に帰してしまった訳ではない。1960年以降、モードやフリーの新しい手法を導入しながらもチャーリー・パーカー以来のモダン・ジャズの伝統的なアンサンブル(全体)を守って行く事によって、 ジャズ・シーンは マルチブルな展開をみせて行く事になったのだ。斑尾でももうお馴染みの、フレディ・ハバード、 そしてハービー・ハンコックやウエイン・ショーターらは、そうした主流から前衛にいたる幅広い順応性をもったアーティストとして 1960年代のジャズ・シーンを築いて行った。(P1984)

1960
昭和35年
ジョン・コルトレーン、マイルス・グループから独立し活動(4月)
映画、「真夏の夜のジャズ」公開(8月)
1961
 昭和36年
ジョン・コルトレーン、初の大アルバム「アフリカ」吹き込む(5月)
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャー来日(1月)
秋吉敏子、チャーリー・マリアーノ4来日、モード日本上陸(2月)
渡辺貞夫、初リーダ作「渡辺貞夫」録音(8月)
ソ連、初の人間衛星に成功「地球は青かった」(4月)
1962
昭和37年
バークレー音楽学院に渡辺貞夫、キース・ギャレットら入学
1963
昭和38年
マイルス・デイビス、ジョージ・コールマン、ハーバー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスらのニュー・クインテット結成
松本英彦モンタレー・ジャズ祭出演(9月)
ケネディ大統領暗殺(11月)
1964
 昭和39年
ジャズ10月革命(10月)
東京オリンピック
1965
昭和40年
オーネット・コールマン「ビレッジ・バンガード」に出演(1月)
渡辺貞夫、バークリーを卒業して3年半ぶりの帰国(11月)
1966
昭和41年
ブルー・ノート、オーネット・コールマン、セシル・テイラーらと契約
パド・パウエル(P)、NYで死去(7月31日)
ビートルズ来日(6月)
1967
昭和42年
前衛ジャズ集団、AACM(創造的進歩的音楽集団)シカゴで結成
ジョン・コルトレーン急死(7月17日)
ニューヨーク市で「ジャズの日」制定(10月7日)
原信夫とシャープス&フラッツ、ニューポート・ジャズ祭出演(7月)
日野皓正、初リーダ作「アローン・アローン&アローン」録音(11月)
1968
昭和43年
ハービー・パンコック、マイルス・バンドから独立(11月)
3億円事件(12月)
1969
昭和45年
デューク・エリントン、生誕70周年記念晩餐会ホワイト・ハウスで開催(4月)
ニューポート・ジャズ祭、混乱により中断(7月)
日野皓正、「ハイノロジー」録音、大ヒット(7月)
アポロ11号、人類初の月面着陸(9月)
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