1991年の斑尾ジャズ
世界的に有名なギタリスト・B.B.キングをお目当てに
ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾に初めて行ったのは社会人になりたての1991年。 在来線の特急あさまで長野に行き(長野新幹線開通は1997年)、斑尾で快晴の下、
海外アーティストの演奏を聴いた。毎年のようにジャズ界の大御所アーティストが演奏してきたが1991年も凄いアーティストが共演した。
B.B.キング、ジョン・ファディス、ダイアン・シューア、そして今はなきディジィ・ガレスビ、ジョー・ザビヌルが斑尾のステージに立った。
ダイアン・シューアがビリー・ジョエルのニューヨーク52番街をファルセット・ボイスで歌い、ジョン・ファディスはディジィ・ガレスビとオータム・リーブスを共演。そして最終日のスペシャル・ファイナル・ステージではB.B.キング・ケーケストラにディジィ・ガレスビが飛び入り。
B.B.キングのバンドが生み出すR&Bのリズムの中で、ディジィ・ガレスビがトランペットを吹くと、
いきなりそれが全体のリズムまでを支配してしまい、さすが非凡なる一面をさりげなく見せてくれた。
私が初めてジャズを聴いたのはこの斑尾のステージが初めてと言っても過言でないかもしれない。
ニューオリンズ
斑尾にも二ューオリンズのミュージシャンが沢山参加した。当時でもジャズとニューオリンズとは密接な関係にある事くらいは知っていたが、実際に自分の目で確かめに行ったのは1994年のこと。プリザーベーション・ホールには、斑尾では聴いた事のないデキシー・ランド・ジャズがあった。
当時のままの小さなホールでPAなしでの生音。地元のジャズ・メンが奏でる音色・メロディーにジャズの源流を聴く事ができた。
また、ルイジアナ文化の継承と祝福とを目的とした
毎年ニュー・オリンズのフェア・グランズで開催されるジャズ・アンド・ヘリテージ・フェスティバルに行ったのは1997年。ここにはジャズ、フュージョン、ロック、ゴスペル、R&B、ケイジャン、アフリカンとありとあらゆる音楽があった。
ニューオリンズは2005年にハリケーン・カトリーナに襲われ壊滅的な被害を被ったが翌年2006年には開催に至っている。
ジャズ・アンド・ヘリテージ・フェスティバルには1997年〜1999年と3年続けていったが、カトリーヌ以降は行っていない。何時の日にか復興したニューオリンズを確かめに行きたい。
2000年代の斑尾ジャズ
初代の冠スポンサーはバドワイザー。そして日通、シティ・バンク、ボーダ・フォン、
時代と共にスポンサーは変遷し2003年の19回目を最後に現在は残念ながら開催休止となっている。
2001年には男性ジャズ・ボーカルのTOKU、2002年のPE'S、2003年の小沼ようすけ、urb、
そしてプライド・プライドと現在の日本のジャズ・シーンの担い手が斑尾のステージに立った。
斑尾のステージは若いミュージシャンの登竜門の役目も果たしていた。
その後、小沼ようすけやフライド・プライドのライブに足を運び、ダイアン・シューアが2005年に名古屋ブルーノートで
バースディ・ライブを行なったときにもその美声を聴きに行った。ジャズ・ジャイアンツから日本のジャズ・ミュージシャンまで幅広くステージに立ち、斑尾はリゾート地における野外フェスティバルの魁的な存在だ。(2009年7月18日TK)