NEW ORLEANS
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フレンチクォーターは言わずと知れたニューオリンズの中心地

初めてニューオリンズに行ったのはメンフィス経由、1994年。映画のセットのような町並みを持つアメリカ南部の田舎町メンフィスから、アムトラックで7時間程度でニューオリンズに到着した。ヨーロッパのようなニューオリンズの雰囲気に愕然とした。 名の通りフランスが作った町並みであるが、スペイン統治時代の2回の大火によりフランスの雰囲気を持つ 町並みは失われてしまい、 現在残っているのは殆どスペイン風の建築のみ。




■シメトリーなデザインの聖ルイス大聖堂(St.Louis Cathedral)

■大聖堂の内部



■アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)の騎馬像

■外輪船

前足を上げて今にも走り出しそう。公園からミシシッピー川河口までは歩いて数分。 河口では外輪船が行きかう。

■カフェ

■ジャクソン広場のストリート・バンド

 

ジャクソン広場の周辺にはカフェが沢山ある。 このカフェの中でもジャズを演奏していた。気がつけばストリート・バンドが演奏している。 広場には似顔絵書きがおり、ストリート・パフォーマンスが行われている。一日中いても飽きない。似顔絵書きは料金をぼったくるので注意、とのコメントを旅行ガイドに見かける。事前に料金を明確にするべきであり、コ ミュニケーションには英語が必要。英語でなくともフランス語、スペイン語でも問題なし。ここはドイツ語、 中国語も飛び交うマルチ・リンガルな場所。

■ミシシッピー川のほとりにて

■モンテローネ・ホテル

■外輪船

 

川べりではこんなパフォーマンス(地元のブラスバンドでしょうか?)も見ることができとてものどか。
モンテローネ・ホテル(Monteleone:1886年創業の由緒あるホテル)の外壁は何気なくアートしている。 外輪船の動力は文字通り「外輪」。汽笛の音は大きくフレンチ・クォーターまで響き渡る。

■ハード・ロック・カフェにて

■フレンチ・クォーターの公園

■路面電車

 

フレンチ・クォータにはご存知 ハード・ロック・カフェもある。マドンナのライク・ア・バージンのゴールド・ディスクが展示されていた。フレンチ・ クォーターを歩いていたとき、ふと門から中をのぞいた。偶然にも、何気なく奇麗な雰囲気のある庭を発見した。 フレンチ・クォーターから路面電車で郊外まで足を伸ばしても楽しい。この路面電車は映画(例えば、A Streetcar Named Desire/欲望という名の電車:脚本/テネシー・ウィリアムズ)にも登場し世界的にも有名。

ニュー・オリンズの街は小さくフレンチ・クォータは歩いて観光することができる。道はバーボン・ストリート、ロイヤル・ストリートを横軸、オーリンズ・ストリートを縦軸として、 碁盤の目になっているので非常にわかりやすい。

フレンチ・クォータ内の小さなホテルに泊まった事がある。毎朝、近くのカフェで朝食をとった。 その店はたまたま冷房が効いていて、一度大きくクシャミをしてしまった。そしたら、近くのテーブルで食事をしていたヨーロッパ系 のグループの中の一人に凄い形相で睨まれてしまった。日本人はどちらかと言うと人前で、しかも大きなクシャミをしても平気なところがある。クシャミをしたら風邪をひいているのか、と思われる程度。一方、クシャミは悪魔が舞い降りて命を奪いに来た、との迷信を意味しているヨーロッパの国もあると、その昔きいた。従って、かみ殺したようにクシャミをする。ところ変われば、クシャミ一つとっても全然 解釈が違う。またニュー・オリンズは何処を撮っても「絵」になる街でもある。(C)TK


■ニューオリンズの復興に向けて

2005年8月29日、ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州、ニューオリンズを襲った。堤防が決壊し、この時多くの貧困層の人間が逃げ遅れ犠牲になった。彼らは移動手段を持たない、持っていてもガソリンを入れ車を維持する経済力がない。貧困層の多くは黒人だ。アメリカが抱えている人種問題が露呈された。彼らはスーパードームに逃げ込み救助を待ったが、政府の対応のまずさで十分なケアを受ける事ができなかった。暴動や略奪も起こり一時、ニューオリンズは無法地帯化した。 テレビのニュースで知り、これが「あのニューオリンズか」と驚愕した。

それから数ヶ月経過し、事態も沈静化して街も徐々に復興しつつある。CNN等でだいぶ復興したフレンチ・クォーター周辺をうかがう事ができる。しかし、復興したエリアはほんの一部。ハリケーン・カトリーナの爪あとが残ったままであるのが現状。 沢山のニューオリンズの住民が避難生活を強いられている。

救済のため立ち上がったミュージシャンがチャリティ・コンサートなどで集めた募金を各支援団体に寄付するなど、支援の輪が広がった。この点、アメリカは非常にレスポンスが良い。早急に行動に移し結果を残す。もちろん、自然災害後に街が一時無法地帯化したのもアメリカの都市(ニューオリンズ)だ。良くも悪くもアメリカは大きなダイナミズムを持った国だ。 復興にはまだまだ時間がかかるであろう。しかし、エキゾチックなニューオリンズの街並、ニューオリンズの音楽(ジャズ、ブルース、ゴスペル)、ケイジャン・クレオール料理などアメリカ南部の食文化、バーボン・ストリートの昼夜を問わない活気、何処を撮っても「絵」になる街、が元に戻る事を願わずにはいられない。(2005年11月TK)


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