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ジャズの父を訪ねて

ルイ・アームストロング公園がフレンチ・クォーターから歩いて数ブロックのところにある。旅行ガイドには、麻薬の売買が行われ昼間でも行かないほうが良い、とコメントされていた(1997年)。しかし別に怪しい連中は何処にもいなく、公園の中にひっそりと立っているルイ・アームストロングが出迎えてくれた。

   
 

■ルイアームストロングの銅像

■ルイアームストロング公園

 
     

公園にはコンゴ・スクエアがある。19世紀後半、アフリカ大陸から連れてこられた黒人奴隷がコンゴ・スクエアで日曜日の午後に集まり、アフリカ土着の音楽を演奏した。ヨーロッパからの音楽要素:メロディー、アフリカ大陸からの音楽要素:リズム、これらがベースになり、ブルース、黒人霊歌等、多種多様な音楽要素がここで混ざり合いジャズへと発展した。ここでジャズが産声を上げたと言われている所以である。

ジャズ・アンド・ヘリテイジ・フェステイバルもコンゴ・スクエアで行われていた演奏がその起点とされる。公園はとても奇麗、ゴミ一つも落ちていない。こんな公園にサッチモはひっそりと立っている。

   
 

■こんな奇麗な公園にひっそりと佇んでいる

 

ルイ・アームストロングといえば、いまさらここで言うまでもなく「ジャズの父」として慕われており、ジャズを聴かない人の間でも、その功績は広く知れ渡っている。 ルイ・アームストロングは1901年8月4日に、ニュー・オリンズの貧困層が住んでいるエリアで生まれた。 1913年、ピストルを盗み出し少年院に送られ、指導教官からコルネット(ホルンから発展したトランペットの原型となった楽器)を教えられる。釈放後、クラブでミュージシャンとして演奏を始めた。

その後、活動の舞台をシカゴに移し、1930年代には有名なアーティストになっていた。 また1940年代にはビ・バップが全盛となったが、そんな時代の流れに囚われずにルイ・アームストロングは1920年代の オリジナルのジャズ・スタイルに拘りを持ち広くファンに支持された。 1950年代、ルイ・アームストロングは世界中をツアーして回った。 自らの祖先の出身地ガーナには1956年に行き大歓迎を受けた。1971年(昭和46年)7月6日に亡くなった。 (C)TK

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